前橋地方裁判所 昭和59年(ワ)419号 判決 1988年8月12日
原告
堀米奈穂美(以下「原告奈穂美」という。)
同
堀米泰孝(以下「原告泰孝」という。)
同
堀 米 由 紀(以下「原告由紀」という。)
右両名法定代理人親権者母
堀米奈穂美
右原告ら訴訟代理人弁護士
山岡正明
右訴訟復代理人弁護士
白田佳充
被告
栃木貨物自動車株式会社(以下「被告会社」という。)
右代表者代表取締役
小平久雄
被告
戸田新太郎(以下「被告戸田」という。)
右被告ら訴訟代理人弁護士
横堀晃夫
主文
(一) 被告らは、各自、原告奈穂美に対し金一七一八万三五七九円、原告泰孝及び同由紀それぞれに対し金八五九万一七八九円、並びにそれぞれに対し右各金員に対する昭和五八年五月一九日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
(三) 訴訟時用はこれを三分し、その一を原告らの、その余を被告らの各連帯負担とする。
(四) この判決は右(一)に限り仮に執行することができる。
事実
一 当事者の申立
1 原告らの請求の趣旨
(一) 被告らは、各自、次の金員を支払え。
(1) 原告奈穂美に対し、金二七五〇万円及び内金二五〇〇万円については昭和五八年五月一九日以降完済に至るまで年五分の割合による金員
(2) 原告泰孝及び同由紀それぞれに対し、金一三七五万円及び内金一二五〇万円については昭和五八年五月一九日以降完済に至るまで年五分の割合による金員
(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。
(三) 仮執行宣言
2 請求の趣旨に対する被告らの答弁
(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
二 当事者の主張
1 原告らの請求の原因
(一) 事故
(1) 日時 昭和五八年五月一八日午後一一時四五分頃
(2) 場所 前橋市箱田町三四四番地の三先交差点
(3) 当事者 加害者 被告戸田
被害者 亡堀米努(以下「亡努」という。)
(4) 態様 被告戸田運転の普通貨物自動車と亡努運転の普通乗用自動車が互に交差道路を進行して右(2)の場所で衝突
(二) 責任原因
(1) 被告戸田は、被告会社の従業員として、同社の貨物運搬の業務に従事中、本件交差点に前記車輛を運転して進入するに際し、信号に従って進行すべき義務あるのにこれを怠り、対面する信号機が赤色を表示していたのにこれを見落して本件事故を惹起した。
(2) 従って、被告戸田には民法七〇九条の、被告会社には民法七一五条の、それぞれ本件事故に関する損害賠償責任がある。
(三) 本件事故による受傷と死亡
(1) 亡努は、本件事故により全治三ケ月を要する頭部外傷Ⅱ型、頭部挫創、出血性ショック、外傷性頸部症候群の傷害を受け、頭部の手術を受けたが後遺症が残り、頭痛や頭の重さを訴え、正常な思考が困難であった。
(2) 亡努は、本件事故直前に株式会社サン・ピエール企画の代表者となり、レストラン「サン・ピエール」を開店したが、本件事故による入院や後遺症のため、これが経営不振になり、右後遺症の脳神経障害を悪化させた。
(3) 被告戸田は過失を否認し亡努の見舞にも来ず、被告会社の担当者も原告奈穂美に「治療費は健康保険でやって下さい」と述べる等誠意を見せず、亡努の精神状態を悪化させた。
(4) 右のような情況で、亡努は、後遺症も完治の見通しがつかず、「うつ病」に罹患し、昭和五九年七月二四日、自殺するに至った。
(5) 従って、本件事故と亡努の自殺とは因果関係がある。
(四) 相続
原告奈穂美は亡努の妻、原告泰孝及び同由紀はその子である。
(五) 損害額
(1) 逸失利益 三七八四万二七六四円
昭和五八年度賃金センサス男子労働者三八才の収入を基礎とし、生活費三〇%控除、中間利息を新ホフマン式算式で控除
(181,000×12+894,600)×(1−0.3)×17.629
(2) 慰藉料 一五〇〇万円
(3) 葬式費用 一〇〇万円
(4) 弁護士費用 五〇〇万円
(5) 各原告の損害額
原告奈穂美 二九四二万一三八二円
(37,842,764+15,000,000+1,000,000+5,000,000)×file_3.jpg
原告泰孝及び同由紀各一四七一万〇六九一円
(前同)×file_4.jpg
(六) まとめ
よって、原告らは、不法行為に基づく損害賠償として、被告らに対し、連帯して、次のとおり本件損害金の内容とこれに対する不法行為の後である昭和五八年五月一九日より完済に至るまでの民法所定の遅延損害金の支払いを求める。
(1) 原告奈穂美
二七五〇万円と内金二五〇〇万円に対する右遅延損害金
(2) 原告泰孝及び同由紀それぞれ
一三七五万円と内金一二五〇万円に対する右遅延損害金
2 請求原因に対する被告らの認否
(一) 請求原因(一)(事故)、(二)(責任原因)の事実はいずれも認める。
(二) 同(三)(本件事故による受傷と死亡)
(1) 同(1)の内、後遺症の存在を否認し、その余は不知。
(2) 同(2)の内亡努が事故当時サン・ピエールを開店していたことは認めるが、その余の事実は否認する。同店は事故前から経営不振であった。
(3) 同(3)の事実は否認する。
(4) 同(4)、(5)の事実中亡努がうつ病になり自殺に至ったことは認めるが、これと本件事故との因果関係はない。
うつ病の発症は亡努の遺伝的、体質的素因によるもので、自殺はうつ病の結果である。
仮に、右うつ病、更には自殺と本件事故とが条件的因果関係あるとしても、相当因果関係はない。
(三) 同(四)(相続)の事実は認める。
(四) 同(五)(損害額)の事実は不知。
三 証拠<省略>
理由
一請求原因(一)(事故)、(二)(責任原因)、(四)(相続)の事実は当事者間に争いない。
二同(三)(本件事故による受傷と死亡)
1 右争いない事実と、<証拠>によれば次の各事実を認めることができる。
(一) 富沢医院での診療状況
(1) 亡努は、昭和五八年五月一八日午後一一時四五分本件交通事故に遇い、救急車で翌一九日午前〇時三〇分、富沢脳神経外科内科医院(以下「富沢医院」という。)に入院した(以下「第一次入院」という。)。同医院の初診では、意識障害はないものの、頭頂部頭皮に挫創あり創部より出血著明、軽い出血性ショック状態で、一次的に頭皮を縫合された。この時のCTスキャンら頭部レントゲンでは異常を認められていない。初診時の病名は頭部外傷Ⅱ型、頭皮挫創、出血性ショック、外傷性頸部症候群と診断され、全治三ケ月の見込みとされている。その後同年六月二一日に創部の血腫除去のため頭皮形成術を受け、同年七月二日退院した。
この間、当初は頭痛、創部痛を訴え、途中より頭痛、頭重感、頸部痛を訴えるようになり、これらは完全に回復しないまま退院している。
(2) 亡努は、昭和五八年七月五日より、昭和五九年一月三一日までの間、富沢医院に二八回外来通院した(以下「第一次通院」という。)。この間の主訴は、頭部痛、項部痛に加え、集中力の無さ、無気力、判断力の低下等であった。
(3) 亡努は、第一次通院治療により右症状が改善せず、昭和五九年二月二日、うつ病と診断され富沢医院に入院し(以下第二次入院」という。)、同年六月三〇日に退院した。
第二次入院当初は比較的安定していたものの、程なく頭部痛を訴え、焦燥感を示し、その後おもちゃのピストルではしゃいだり、子供っぽい歌を歌ったり幼稚な状態に退行したり、五月頃には、自信がないと訴えて自殺念慮と判断され、布団の中で泣いたり、ベランダに出て泣いたりする状態も現われた。
右症状に多少の改善は見られたものの、基本的な症状は残ったが、少しずつ仕事に慣らした方が良いとの判断の下に退院となった。退院の際に富澤医師は亡努の家族に自殺念慮があるので注意するよう指示した。
(4) 亡努は、昭和五九年六月三〇日退院後、富沢医院に四回通院したが、項部痛や全身倦怠は続き、同年七月二四日自殺するに至った。
(二) 亡努の略歴、サン・ピエールの状況とこれに対する亡努の対応
(1) 亡努は、昭和二三年一一月七日、前橋市において和菓子屋「萬栄堂」を営む堀米清一郎の長男として生まれ、私立育英高等学校を経て明治学院大学法学部法律学科に入学したが、昭和四五年三月、家業を継ぐべく三年で中退し、萬栄堂高前バイパス支店の店長として勤務し、熱心に営業活動をした。
昭和五二年六月に恋愛結婚し、昭和五三年三月にはレストラン群馬喜山を営む会社の専務取締役に就任し、昭和五八年一月まで勤務し、同店を全面的に委されていた。その間の昭和五三年二月に長男泰孝が、同五五年六月に長女由紀が出生した。
昭和五八年一月に株式会社サン・ピエール企画を設立して、レストラン「サン・ピエール」を開店し、従業員九名を使用し、自ら経営計画を立て営業活動をして、張り切っていた(以下、同社は同レストランのみを営むので、両者を合わせて単に「サン・ピエール」という。)。
亡努には本件事故前にはうつ病の症状はなく、その近親者にも同様の症状を示す者はいない。
(2) サン・ピエールは、開店当初は大旨順調であり、昭和五八年一月より同年六月までの第一期決算では約二〇〇万円の赤字を計上したが、一般的に開店当初は赤字になるものである割には、赤字が少なかったと考えられていた。
(3) 亡努は、本件事故による第一次入院後、サン・ピエールの安川支配人に、約三日に一度の割合で売上伝票を持参させ、営業状況の報告を受けていたが、昭和五八年六月二五日に従業員による数百万円の使い込み事件が判明し、以降毎日売上伝票の細かい点検をするようになり、「自分が入院しているからだ。早く退院して経営を支えなければ」等と言うようになった。
(4) 亡努は、昭和五八年七月二日以降の第一次通院期間中、「疲れる」、「身体が動かない」等と言って一週間程自宅で休養した後、送迎を受けて午後の二〜三時間程度出勤した。使い込みをした従業員に対しては厳しく追求することなく止めさせることで解決してしまった。その際同従業員が他の従業員も辞めさせたため、サン・ピエールの経営が一時混乱したこともあった。
この間亡努は、「疲れる」、「朝起きるのがつらい」等と訴え、使い込み事件に関連する混乱については、「自分の目が届かなかった」、「自分が入院しなければ」等とよく言い、仕事に対しても焦りを示しながら、細かい数字を計算できなくなってしまったり、給料日を忘れてしまうようなこともあった。
もっとも、同年八月には、ビアガーデンを開き、同月末頃よりは持続して出勤し張り切っていた。しかし、同年一〇月頃には、再び、無気力、頭重感等を訴え、仕事もできなくなり、いらいらして家族に当ったり、人を呼んでおいて忘れたりするようになり、昼間も臥床する状態で、「自分は治る見込みがない」と訴える等した。
(5) 昭和五八年一一月頃より今まで以上にサン・ピエールの売上げか落込むようになり、同年八月よりの貸室料等の遅滞金四〇〇万円余を同年一二月に請求を受ける状況となり、亡努は、親からの借り入れの外、サラ金等からも借り入れるようになった。
(6) 昭和五九年二月二日の第二次入院以降、サン・ピエールの経営の困難を知った父清一郎は、経済的な肩代わりをするようになり、亡努も、「父にまかすから頼む」と言う状況で、同年四月中旬には、社長も父と交代した。しかし、レストラン経営の細目を父は知らず、実質的には亡努がやらざるをえず、同人が処理していたが、「事故にさえ会わなければ」とか、「先が長いのでこんなことをしてはいられない」とか、「迷惑がかかるので死んだ方がよい」とかもらしたりした。
(7) 右のような状況にありながらも、六月三〇日が第二期決算の末日で、この決算をするには自ら以外にないと同日退院した。一週間程は頭重感、頂部痛、頸部痛、全身倦怠を訴え、自宅で静養していたが、その後は、父と共に午前中出勤し、決算の仕事をした。
(8) 右第二期決算の結果は、一八〇〇万円余の赤字で第一期の繰越しと合せて赤字二〇〇〇万円余となった。
(9) 亡努は、同五九年七月二二日までは出勤し、翌二三日、妻子と赤城山へ鱒釣りに出掛け、翌二四日、遺言状二通を残して三五才で縊死自殺をした。亡努は死の直前頃には再三「死ぬ」等と口走っており、家族も警戒していた。
(10) 右遺言において亡努は、レストラン開店四ケ月で本件事故に遭い、以来思考力も、何もする気力もなく、将来に不安で希望もないこと、加害者は一度見舞に来たのみであり、被告会社も菓子折りを持って二〜三度来たのみで、治療費も八〇万円を越えたら亡努の社会保険を使うよう申し入れる等し、その後の交渉にも誠意のないこと等を訴えている。
(三) 本件事故及び亡努に対する被告らの対応
(1) 被告戸田は、事故直後の亡努との会話、警察官の取調べ及び実況見分に際しては、自分が信号見落しをしたことを認めていたが、その後の捜査では、自分は青信号で進入したことを主張し、供述を変更し、更に、昭和五九年四月二三日には、直前では信号を確認していないと供述を変更し、本訴においては、信号無視を争わない。
(2) 被告戸田は、第一次入院中、亡努を見舞うことは全くなく、その後も一度訪ねたのみであり、更に、右入院中に、被告会社の社員が原告奈穂美に対し、八〇万円を越える部分は亡努の健康保険で治療するよう申し入れたりしたため、亡努は憤慨していた。
(3) 被告会社は、昭和五八年一〇月頃、第一次入院の治療費八四万円余を富沢医院に支払ったが、その後の治療費等の支払いをせず、被告らはその他の示談交渉にも積極的に応ずることなく、このため、亡努は、被告らに対し強い不満を持ち、周囲の物にこれを漏らしていた。
(四) (反応)うつ病について
(1) うつ病には、その成因により、頭部外傷など脳に対する侵襲等外部から加えられた原因により生ずる外因性のもの、遺伝等素質的な要因により生ずる内因性うつ病、個体の神経症等より生ずる神経症性うつ病、主に環境的要因により生ずる反応うつ病等がある。
(2) 反応うつ病は、ある種の情動体験を契機にうつ状態が出現し、情動体験が薄れるかなくなるとうつ状態もしだいに軽快する。症状は、抑うつ、自責、制止、日内変動、自殺念慮、身体症状などで、原因となる体験は近親者との死別などによる悲哀体験や、重篤な失望、欲求不満などである。
(3) レントゲン検査やCTスキャンなどで頭部に異常が認められない場合でも、外傷により脳に器質的障害の発生していることがあり得、これが原因となって外傷性うつ病の生ずることもあり得る。
2 右認定事実と<証拠>によれば、
亡努は、うつ病に陥って自殺したものであるが、それは、本件事故による頭部外傷に起因する外傷性のものであることも否定できないが、外傷性でないとしても、サン・ピエールを開店して間もない時期に本件事故に遭い入通院を余儀なくされ、その間に十分な従業員の管理も経営計画もできず、その結果、従業員の使い込みや売り上げの減少が生じ、多額の赤字決算をせざるをえなくなる等心労を強いられ、他方、原告戸田において信号無視を否定し、殆んど見舞もせず、被告会社においても誠意をもって賠償交渉に応ずることがなかったため、これらに対しても強い憤りを持ち、これらの要因が重なって、反応うつ病に罹患したものであることが認められる。
3 被告らは、右うつ病は遺伝的、体質的素因に基づくものである旨主張するが、これを首肯するに足りる証拠は全くない。
4 一般に、交通事故による傷害、加害者の対応等を原因として被害者が自殺に走ることは、傷害の部位程度、加害者の対応のあり方によっては、これが予見不可能と言うことはできず、これを本件について見れば、右2に判示の如き経緯で亡努が自殺に至ったもので、右自殺と本件事故との間には相当因果関係があるものと言わざるをえない。
5 しかし、右2に判示の如く、亡努の自殺の直接の原因はうつ病であり、これが本件事故の傷害による可能性は否定できないものの、その証明はなく、反応うつ病であるとしたときは、本件事故による入通院が原因しているとは言え、サン・ピエールの不振も一つの要因をなしており、これについては亡努本人あるいはその父を含め更に別の対応の可能性もなかったわけではなく、更に、自殺が自己の自由意思により命を絶つものであること及び第二次入院の退院の際に医師より亡努の家族は自殺念慮を指摘されその注意を求められていたこと等を考慮すれば、亡努の死亡の結果をすべて加害者側に負担させるのは、公平を失し、民法七二二条の過失相殺の法理を類推適用し、亡努の死亡による損害についてはその五割を加害者側に負担させ、残る五割は被害者側に負担させるのが相当である。
三請求原因(五)(損害額)
1 逸失利益 四八七三万四三一六円
前記認定のとおり、亡努は死亡時三五才で、サン・ピエールの代表者としてレストランを経営して、原告らを養育していたもので、これらの事実に鑑みれば、亡努が、死亡しなければ六七才まで、少くとも昭和五八年度賃金センサス第一巻第一表企業規模計、産業計、学歴計男子労働者三五才の年収を得られたであろうことは明らかなので、生活費を三〇%控除、中間利息をライプニッツ式計算法により控除して算出すると次のとおり四八七三万四三一六円となる。
(282,800×12+1,012,200)×(1−0.3)×15.802
2 慰藉料 一五〇〇万円
前記認定の本件事故態様、亡努の受傷とその治療状況、死亡に至る経過、その家庭の状況その他、前記被害者側で負担すべきものとして考慮すべき点を除く本件諸般の事情を考慮すれば、亡努の受けた精神的苦痛を慰藉するには一五〇〇万円が相当である。
3 葬式費用 一〇〇万円
前記認定の亡努の社会的地位、家庭における立場その他諸般の事情を考慮すれば一〇〇万円が相当である。
4 弁護士費用 四〇〇万円
本件事案の内容、難易、審理の経過その他諸般の事情を考慮すれば、本件弁護士費用は四〇〇万円が相当である。
5 合計
(一) 原告奈穂美 一七一八万三五七九円
(48,734,316+15,000,000+1,000,000+4,000,000,)×file_5.jpg×0.5
(二) 原告泰孝及び同由紀 八五九万一七八九円
(同上)×file_6.jpg×0.5
四結論
よって、原告らの本訴請求は、被告らに対し連帯して、原告奈穂美において、一七一八万三五七九円、原告泰孝及び同由紀それぞれにおいて八五九万一七八九円、並びに不法行為の後である昭和五八年五月一九日より完済に至るまで民法所定法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、民事訴訟法八九条、九二条、九三条、一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官田村洋三)